ドキュメンタリー映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』で認知症の実の母との日々を公開し、大きな話題を呼んだ映画監督・テレビディレクターの信友直子さん。後編では認知症の家族と地域の人々との交流について、介護のプロと協働する重要性についてお話ししていただきました。
地域から孤立、1日中誰とも喋らない日々
認知症になった直後、症状を見せたくない・迷惑をかけたくないという思いから、認知症本人や家族が地域から孤立してしまうケースも多くあると言われています。信友さんのお母様は元々社交的で、近所にお友だちが多かったお人柄でしたが、記憶力に自信がなくなっていくにつれて外出を控えるようになってしまったのだそう。またそんなお母様の姿を見て、お父様も周囲には言わない方が良いと判断し、夫婦で引きこもってしまっていた時期があったといいます。
「父に“わしがおっかぁの面倒見るけん、ほっとってくれ”と言われ、介護サービスもお願いせずに2人きりで過ごしている期間が2年ほどありました。でも父は耳が遠いのでなかなか2人だけでコミュニケーションも取りにくくなり、母は“私がおかしゅうなったと思って、お父さんは話し相手になってくれん”と被害妄想になってしまって。母は1日中誰とも話さない日もあったようです。そうすると刺激がなくなりますから、一気に認知症が進んでしまいました。」
どんどん落ち込んでいく2人に危機感を覚えた信友さんは、お父様に内緒で地域包括支援センターに相談に行かれました。センターの職員が家族に介入し、上手く両親に話してくれたことで、当初は拒否していたデイサービスを受けることになりました。
「デイサービスの車が家の前に止まることになるので、“どうせわかっちゃうからもう言おうや”と両親に伝え、私から近所の方たちに、母が認知症であることを伝えました。」
家族から気軽に言える社会へ
近所の方々の反応を少し心配に思っていたという信友さんですが、“人生100年時代、いつ誰が認知症になってもおかしくない”と皆さんが優しく受け入れたことに驚いたといいます。
「向かいのおばさんには、“あんたいうのが遅いわ、水臭い”と怒られてしまいました。母の様子を見て心配に思ってくれていたようなのですが、本人たちが言わない限り、あちらから“あなたのお母さん、認知症じゃない?”とは言えないですよね。“あんたが言わんとこっちからは何にもできんのよ”と言われて確かにそうだと気づきました。近所の方々に伝えるのは、家族の1つの役目だと思います。」
それから近所の方々は積極的に声をかけてくれ、信友さんが東京で仕事をしている際はご両親のことを気にかけるようになったそう。映画のタイトル「ぼけますから、よろしくお願いします。」は、お母様が家族に言った言葉から付けられていますが、気軽に近所の人たちに言い合える社会になるように、という願いも込められています。
「誰が認知症になってもおかしくないのですから、なった時に色々な人に頼って、みんなが“お互い様だからね”と助け合って、暮らしやすい社会を作っていくことが大事だと思います。」
介護は介護のプロに頼り、家族は愛情を伝える
家族の介護疲れは社会問題ともなっています。家族だけで解決しようとせず、近所の方々や介護ヘルパーなどプロの手を借りることも重要だと信友さんは語ります。仕事のある東京から介護のために広島に帰ることも考えたそうですが、“東京で仕事をすれば良い”というお父様の言葉もあり、仕事を辞めて広島に帰ることはしませんでした。
「昔ながらの考えで言うと、東京から帰ってきて母の面倒を見るのが親孝行と考える人もいるかもしれません。でも実際そうなったとしたら、いつまで続くか分からない介護に段々と私も息切れしてきてしまうと思います。ずっと一緒にいて、自分も疲弊してくると、母に余計なことを言ってしまうかもしれません。そういう態度は母本人を傷つけることにもなると思うんです。娘が東京の仕事を辞めて自分の面倒を見て、疲れている。自分は娘に迷惑をかけている、申し訳ないと感じてしまう。それは結果的にお互いにとって良くないと思います。」
実際に介護ヘルパーさんがお父様とお母様の言い合いを仲介してくれた時もあったといいます。人に迷惑をかけない美学を持っている高齢者の方も多いですが、ヘルパーさんという、他人であり介護のプロが入ってくることで、本人も家族も余裕が生まれ、心にゆとりのある時間を持つことができます。
信友さんは認知症専門病院・和光病院の院長である今井幸充さんの「介護はプロとシェアして、家族の役割はその人を愛すること」という言葉に救われたといいます。それから信友さんはお母様に愛を伝えることを重要視するようになりました。小さい頃にお母様にやってもらっていたのと同じように、ぎゅっと抱きしめるようにしていたのだそうです。
「最初のうちは照れもあって嫌がっていましたが、段々と落ち着いてきて、母の体から力が抜けていくのが分かるんですよね。緊張がとれていって、母がリラックスして落ち着いているのを感じると私もなんだか嬉しくなるので、よく抱きしめるようにしていました。」
延命治療については親から切り出してほしい
お母様は最期、脳梗塞により延命治療を行うかどうかの選択を迫られました。その頃は既に認知症の症状も進行していたため、お母様本人の意思を確認することはできませんでした。延命治療・終末治療(ACP)については、元気な頃に話し合うのは難しく、病状が悪化してからでは話し合えないため、家族がどのような選択をすべきかは大きな課題となっています。
「自分が経験して思うのは、やはり子どもからは言い出しにくいということです。母が怒ってしまうかもしれないし、私としても縁起の悪いことを口に出しにくい。本当なら、親から言ってほしいですよね。母はACPに関する知識は新聞などで知っていたと思いますが、母から何か言われることはありませんでした。」
家族と直接話し合うのが難しい場合は、エンディングノートに自分の意思を記しておくことも1つの方法です。また、自分の近しい人がこういったケースになった際に、それを機に話し合うきっかけを作るということもできるでしょう。
「父とは母のことがあったので、“お父さんはどうなの?”と話し合うことができました。そういったきっかけがないと、なかなか子どもから切り出すことはできないと思います。」
ドキュメンタリー番組や映画、書籍が話題になった信友さん。今は認知症やACPをテーマにした講演会の依頼も多いといいます。
「私の実例を話すことで、励みになっている方々がいらっしゃるようなので、とてもやりがいを感じています。呼ばれる限りは、行ってお話ししたいなと思いますね。市町村で開催されることが多いので、ありがたいことに口コミで全国に広がっているみたいです。旅をするのも好きなので、楽しみながら続けていきたいですね。」
また、お父様は今年102歳を迎えました。“そんな心配せんでも、あんたは仕事をすればいい”というお父様の言葉を受けて、広島へ移住することはせず、“よう働いて夏休み2カ月とったけん、ちょっとおらしてや”と、仕事をしながら一定期間帰省をするようにされているのだそう。
お互いの尊厳や思いを尊重しながら、愛を持って支え合う信友家の姿は、認知症と向き合う家族のあり方にさまざまなヒントを与えてくれます。
『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん〜』
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