おはよう21 2016年12月号
日本認知症ワーキンググループ/おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
※本記事は、2015年~2017年に月刊誌『おはよう21』に掲載された丹野智文さんの連載「41歳、認知症と歩む」を、一部改変のうえ、再掲するものです。記載内容等は連載当時のものとなっております。
講演やマスメディアを通し、 認知症の当事者として発信を続ける丹野智文さんが、今までのこと、これからのことを語ります。
「認知症を隠さない」という工夫
「困っている」が共通項
おれんじドアや日本認知症ワーキンググループ※で行われてきた当事者との話し合いを通し、私自身にもさまざまな変化や気づきが生まれています。
気づきの一つは、「年齢や環境の違いがあっても、認知症の症状によって当事者が困っていること自体は変わらない」ということです。
もちろん、具体的な症状は皆それぞれに違うものですが、生活のなかでの苦労や、不安を感じる場面などは、よく似ていることが多くあります。
おれんじドアでも、私が今困っていることについて話すと、「よく言ってくれた」「同じ同じ!」と、それぞれの当事者からあいづちが返ってきます。
特に互いに共感し合う困りごとは、やはりもの忘れに関することです。今日の予定を忘れてしまう、どの駅で降りるか忘れてしまう、お風呂のお湯を張っている途中だったことを忘れてしまう・・・もの忘れによって、私たちは日常生活にいろいろな不便を感じています。
工夫を共有する
ただ、そういった困りごとに共感し合うだけで、私たちの話は終わりません。
たとえば、予定を忘れてしまうことが話題になったとき、ある人が「私は自分専用のカレンダーをつくっているよ」と、その困りごとに対する工夫を紹介する場合もあります。すると更に、「カレンダーなら、これくらい大きなサイズのものも売っているから、それをリビングに貼っておくと、自分も家族も見やすくて便利だよ」などと、別の人からアイデアが出てくるのです。
こうした工夫は、皆それぞれ必要に迫られたり考えたりして、独自にあみ出していくのですが、ほかの人の工夫を取り入れることで自分の困りごとが軽減できる場合もあります。
私がやっている工夫として、ほかの人によく紹介するものの一つに、ヘルプカードがあります。
現在、私はバスと電車を乗り継いで会社まで通勤しています。ただ、その日の心理状態によって、本当にふとしたときに、乗り換えや降りる駅がわからなくなることがあります。不安を強く感じる出来事があると、特にそうなりやすいのです。
その場合、周囲の人に「この会社に行きたいんですけど、わからなくなってしまって……」と道を尋ねるのですが、スーツを着た私のことを認知症だとはわからないので、「変な人だ」と思われ、教えてもらえないことが多くありました。相手が女性だと、ナンパとでも思われてしまうようで……。
何とか打開策をと思ってつくったのが、このヘルプカードでした。道に迷ったとき、カードを見せて人に尋ねると、不審に思われず、すぐに教えてもらえるようになりました。しかも、効果はそれだけにとどまりませんでした。
「一緒に行きましょう」
あるとき、やはり通勤の電車に乗っていて、降りる駅がわからなくなったことがありました。不安で、この定期入れを手に握りしめて、ずっと見ていたんです。すると隣に座っていた女性が「私も同じ駅まで行くので、一緒に行きましょう」と声をかけてくれました。
また別の日、会社からの帰り道がわからなくなり、駅員さんに「このバスに乗りなさい」と教えてもらったのですが、バスに乗ってからも不安しかなく、定期入れを手に、キョロキョロとしていました。家の近くまで来て、「ここで降りるはずだと思うけど、違うかな……」と悩んでいると、隣の人が降車ボタンを押して、「ここですよ」と教えてくれました。
両者とも、ヘルプカードを持っていてよかったと思った出来事でした。これらは、二つの条件が重なったことで、うまく手助けをしてもらえた事例だと思います。一つは、電車やバスでの私の行動に、周囲が「何か困っている」と気づいたこと。もう一つは、私が持っていたヘルプカードによって、その困りごとが「認知症によるもの」と伝わったことです。それで周囲の人は助け方がわかり、声をかけてくれたのだと思います。
偏見を恐れ、認知症のことを周囲に言えないでいる当事者は多くいます。私自身も、最初から公表しようと考えていたわけではありません。
でも、これまでそうやって困っていたときに、街中の一般の人に助けてもらえた経験が一回、二回と増えてきて、「隠す必要はないんだ」と、実感するようになりました。
認知症を隠さないことが、今の生活のなかでの一番の「工夫」なのではないかと、私は考えるようになりました。
※現・一般社団法人日本認知症本人ワーキンググループ
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