おはよう21 2017年2月号
日本認知症ワーキンググループ/おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
※本記事は、2015年~2017年に月刊誌『おはよう21』に掲載された丹野智文さんの連載「41歳、認知症と歩む」を、一部改変のうえ、再掲するものです。記載内容等は連載当時のものとなっております。
講演やマスメディアを通し、 認知症の当事者として発信を続ける丹野智文さんが、今までのこと、これからのことを語ります。
パートナーという考え方
私のパートナー
前回は、家族の会の若生(わこう)栄子さんたちのことを、「介護者」や「サポーター」ではなく、「パートナー」と思うようになった経緯をお伝えしました。
パートナーは、私にとって、当事者と周囲とのよりよい関係のあり方を指します。サポーター、介護者という言葉は、「サポート(介護)する側」と「サポート(介護)される側」が明確に区分された、前者が後者を一方的に支える関係が前提になると思います。
たとえば、全国では「認知症サポーター養成講座」が開催されており、サポーターの数は800万人(当時の認知症サポーター数)を超えたそうです。頑張って勉強し、認知症について知ってくれる人が増えたことはとてもありがたいです。しかし、その名称からは「認知症の人はサポートが必要な存在」という考えが透けて見えるように、私には思えます。認知症当事者を目の前にしたときに真っ先に考えるべきは「どうサポートすればいいか」なのでしょうか。
認知症になったからといって、いつもサポートを求めているわけではありません。ふだんは認知症の人と一緒に生活を楽しみつつ、必要なときに自然な形でサポートをしてくれる存在を求めています。それが私の言う「パートナー」の意味なのです。
ともに人生を楽しみたい
たとえば若生さんは、私の講演活動によく同行してくれ、私から病気に関連した相談をすることもありますが、逆に、若生さんが携わる若年性認知症の人の集いの運営に対し、こうしたらと私がアドバイスすることもあります。笑い話も、議論もたくさんします。講演で前泊となれば、一緒にお酒も飲みます。
彼女はそそっかしい面もあり、講演先に行くための新幹線の切符を忘れたこともありました(笑)。そのときはすごく落ち込んでいて、私が「大丈夫」と励ましたり……。連れて行ってもらおうと相手に頼り切るより、「切符、大丈夫かな」なんて自分でも考えるほうが刺激になりますし、私の場合はおっとりした人のほうが、一緒にいて楽かもしれないですね。
スコットランドのリンクワーカー(※)はよい制度だと思いますが、やはり人として合う・合わないはあるものです。制度として「はい、この人があなたのパートナーですよ」と決められても、パートナーにはなれない。よい意味での友達感覚というか、「人生を一緒に楽しみたい」という気持ちが、この関係の基盤にあるのだと思います。
「俺たちが覚えているよ」
更に言うと、私にとっての「パートナー」はもっともっと存在しています。
診断を受けてから1年ほど経った頃、中学・高校の弓道部のOB会がありました。当時は、ごく親しい一人の友人にしか病気のことを話していなかったので躊躇しましたが、友人の誘いもあり参加してみました。
その頃は、病気がすぐに進むのではと不安で、次に会うときには友だちのことを忘れているかもしれないと思っていました。でも、あらかじめそれを伝えておけば、出会ったときに相手から声をかけてくれるかもしれない。それで、飲み会のなかで病気のことを告げた後、「次会ったときに、皆の顔を忘れてたらごめんね」と、冗談交じりに話したのです。先輩はこう言ってくれました。
「大丈夫。お前が忘れても、俺たちが覚えているから」「こうやって定期的に会おう」。その言葉は、とても嬉しかったですね。実際に今も、その集まりには定期的に参加しています。
病気やできないことを隠さないことが、パートナーと出会う秘訣かもしれません。そうした多様な形のパートナーが周りにいると感じられることが、私の今の生活の安心感につながっています。
しかし多くの当事者は、「認知症になって今までの人間関係が疎遠になった」と言います。パートナーと呼べる存在が、当事者の周りにもっと増えていく、そんな社会に変わっていってほしいと思っています。
※英・スコットランドでは、臨床心理士や看護師等の資格をもつ「リンクワーカー」が認知症と診断された人の家を訪問し、認知症の知識を伝えたり、交流会や勉強会の紹介、制度の手続きなど、1年間無料で生活をサポートする
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