家族から見た認知症介護の物語 #2 〜家族が認知症を受け入れるまで〜

家族から見た認知症介護の物語 #2 〜家族が認知症を受け入れるまで〜

認知症に気づいたきっかけは三者三様でしたが、それに対する家族の対応や、その後の介護の状況はどうだったのでしょうか?

肉親の認知症に対する家族の反応は?

Aさんの場合は、お父さまが「実母が認知症になった」という事実をなかなか受け入れられなかったのだといいます。
「父は頑なに、祖母が認知症だということを認めなかった。というより、認めたくなかったみたいなんです。自分の親が認知症で、いろんなことを思い出せなくなっていくっていう現実がなかなか受け入れがたかったみたいで…。母は早いうちから『認知症の症状が出ているよ』と父に言い続けるんですけど、単身赴任の父は月に一回しか家に帰ってこないからか、実感がないようでした。」
介護をしていたAさんのお母さまにとって、おばあさまは義理の親にあたる存在。その点も、辛さや夫婦間のいさかいにつながったのではないか…とAさんは振り返ります。
「認知症の祖母と毎日一緒に過ごすのが、どれくらい大変か。食事だったり、入浴の介助だったり…母は、毎日すごくしんどそうでした。でも父は月に一回帰ってこないし、電話でしか様子を聞かないから分からないと言っていて。母が『本当に危ないから病院に行こう』と提案したのを父が拒否して、それが口論のきっかけになったり。病院に行くまでは、父と母が険悪な雰囲気になることもありました。
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しかも母にとって認知症の祖母は、自分の母親ではないんですよね。実際に介護を担っていた私の母はもう亡くなっているので、推測ではあるのですが、それもやっぱりしんどかった理由の一つではないかと思います。」
Bさんの家族の場合も、「肉親の認知症を受け入れられない」ということが起きたそうです。
「祖父が、『自分の妻が認知症かもしれない』という事実を認められなくて、ずっと否定し続けていました。Aさんと同じく、私の祖父と祖母も、『決めることはすべて祖父が決める、それにしたがうのが祖母』という夫婦だったんです。なので、周りが『病院に行った方がいいよ』と心配しても、祖父が『行かなくていい』とそれをさえぎって病院には行かない、という状況が続いて…結果的に、病院に行くのが遅くなってしまいました。母によると、症状が出てから受診まで、2年ほどかかってしまったそうです。」
病院を受診する、という段階になっても、おじいさまはなかなか状況を受け入れられなかったそう。
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「最初の病院で『認知症かも』と言われても、『間違っている』と…。絶対に認めないという感じで、そのまま終わってしまったんです。そこから更に何カ月か経った後にようやく大学病院に行き、そこで改めて認知症の検査をして、やっと正式に『アルツハイマー型認知症』だと診断されました。その時には随分と進行してしまっていて、誰がどう見ても…という状態でしたね。」
一方、Cさんの場合は、家族全員が納得している状態で認知症に向き合うことができたのだとか。
「我が家の場合は、お二人のように『家族の誰かが、肉親の認知症を受け入れられない』ということはありませんでした。もともとは、祖父と祖母と私の母という3人家族。祖父はあまり働かず、祖母が一人働いて娘である母を育てた…という環境だったんです。なので、こんな言い方はよくないかもしれませんが…祖母と母は、『祖父を頼りにしなくてもやっていける』という感じだったんですよね。
看護師の資格を持っている母が、正しい知識でリードしてくれたのもあり、家族全員が祖父の認知症に関して共通認識を持ったうえで、『介護を頑張る祖母と母を、他の家族が支える』という態勢ができあがっていたと思います。」

介護について印象に残っているエピソードや、苦労した点はありますか?

Aさんのおばあさまの場合、介護施設に入居する前は一人暮らし。おばあさまを家に一人にしているという状況が一番怖かった、とAさんは振り返ります。
「いつ、何が起こるのかがわからない、予測がつかないというのが…怖かったし、大変だったなと思います。
例えば、処方されている薬。祖母が一人で開けられないように、収納してある場所に鍵をしておいても、どこからか鍵を見つけて来て、開けて服用してしまったりといったことがありました。」
介護施設に入居してからは、実の息子であるAさんのお父さまのこともはっきりと思い出せなくなってしまったそうです。
「毎日介護している母のことはずっと覚えているんですけど、父のことはなかなか思い出せなかったり。私のことも、二十歳の成人式の姿のまま止まってしまっているようで、会いに行くと『あら、成人式きれいだったわね』なんて言われてしまっていました。」
Bさんのお母さまは、実の母親であるおばあさまの介護経験をこう振り返ってくださったそうです。
「母本人は、祖母の気分の上がり下がりが激しくなったことがすごく大変だったと言っていました。祖母の場合は、気分がすごく高ぶってる時とすごく落ち込んでる時の差があって、それに対応するのが大変だったそうです。
起きた直後から補助が必要だったことにも、苦労したと言っていました。朝起きてまず、自分が何を着るのか…というところから、もうわからなかったそうです。仕事をしていた時は、朝起きたら『今日はこれを着よう』と自分で決めていたはずなんですけど、それがもう決められないし、どうしていいかわからない。なので、母がその段階から助ける必要があったんですね。」
介護するお母さまを見ていた、離れて暮らすBさんの視点からも感じることがあったそう。
「実家が自営業で、仕事場と自宅が繋がっていたんですね。なので、自宅で祖母に何かあった時に、母は仕事をしながらもそちらが気になってしまう…という感じだったんです。常に近くにいるからこその苦労があったんじゃないかな、と私は感じていました。常に祖母の様子を気にしなければいけないような状況は、きっと大変だっただろうなと思います。」
そしてBさんご自身は、おばあさまが認知症になったことの辛さをこうお話してくださいました。
「私自身が一番辛く感じたのは、祖母が認知症になることで、一緒にこれまで過ごした想い出を語り合ったり、これから先の私自身の成長…仕事や結婚、出産などについて話せなくなることでした。」
Cさんのご家族の場合は、「周囲の人たちに、認知症だと信じてもらえない(理解してもらえない)」という苦しさを経験されたそう。
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「祖父の場合は、普通の時と、認知症の症状が出ている時の波がすごくあったんです。外では普通だけど、家に帰ってきた途端に症状が爆発する、というような…。なので、誰かに言っても信じてもらえない、外部の人に言っても理解してもらえない…という点が一番大変でした。介護認定を受けるのも一苦労で。なんとか介護認定をもらって、デイサービスに通い出したんですけど、やっぱりデイサービスに行ってる間は比較的症状が落ち着いていたようです。
デイサービスに通い出してからも、例えば送り出し一つとっても色々あるんですよね。祖母が祖父に荷物を持たせて送り出しても、祖父が勝手に中身を抜いてしまって、『入ってなかった』って騒いだり。忘れ物を、孫の私が届けることもありました。」

「認知症」をもっと身近に感じるために

認知症について正しい知識を持つ家族を心強く感じる一方で、家族が肉親の認知症を受け入れられない、周囲からのネガティブな印象を気にしてしまう…という現実がありました。
続く#3では、「認知症をより身近に感じ、正しい知識、支援を知るために必要だと思うこと」について聞いてみました。
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文=笹川かおり(under→stand Inc.)

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