おはよう21 2017年1月号
日本認知症ワーキンググループ /おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
※本記事は、2015年~2017年に月刊誌『おはよう21』に掲載された丹野智文さんの連載「41歳、認知症と歩む」を、一部改変のうえ、再掲するものです。記載内容等は連載当時のものとなっております。
講演やマスメディアを通し、 認知症の当事者として発信を続ける丹野智文さんが、今までのこと、これからのことを語ります。
特別な認知症の人はいない
「特別な人」という誤解
当然ですが、認知症による症状は、人それぞれです。ここでお伝えしている私の言葉が、すべての認知症当事者を代表するわけではないと思います。
ただ、おれんじドアや日本認知症ワーキンググループ*などでほかの認知症当事者と話をしていて気づくのは、当事者として感じている気持ちや、困っている事柄など、共通する部分も非常に多いということです。特にもの忘れに関することは、前回お伝えしたとおりです。
しかし、私が講演やテレビなど人前で話をするようになり、世間からしばしば、ある誤解をされているように感じています。「こんなに話ができるこの人は、認知症のなかでも特別な人だ」という誤解です。
今は全国の当事者が、それぞれ意見を発信するようになってきましたが、そうやって当事者自身が、「認知症のことを知ってもらいたい」「自分たちから社会を変えていこう」と頑張った結果、そのような誤解が生まれています。
たとえほかの人からは、スムーズにしっかりと話をしているように見えていても、人によって、体調によっては、話すこと自体に凄まじい集中力が必要です。ひとしきり話をした後、疲れきって動けなくなってしまう、寝込んでしまうという当事者もたくさんいます。
日本認知症ワーキンググループ*で一緒に活動をしているメンバーや、各地で活動する当事者たちは、皆とても素晴らしい、魅力的な人です。でも、彼らも私も、「特別な当事者」ではありません。認知症によって困っているということは、同じなのです。
私たちが伝える言葉を、「あの人は特別」と切り離し、皆さんの目の前の、認知症が少し進んだ人に接するときに、なかったことにしないでください。ヒントは、そこにもあるはずです。
チャンスを呼びこむ装置
特別な当事者ではない私が、なぜ今、世間のイメージを覆すように、元気に仕事や遊び、全国での講演活動ができているのかと考えてみると、一言で言えば、「チャンスをつかんできたから」だと思っています。
それは、人や社会とかかわり続けるという「チャンス」です。
認知症と言われると、当事者も家族も周りの人たちも、「何もできなくなる」と思ってしまいます。その誤解によって当事者は、外に出て行かなくなる。人や社会とかかわるチャンスがなくなってしまうのです。
認知症は、何もできなくなる病気ではありません。皆が外へ出るチャンスをつかんでいけば、もっともっと普通に、当事者が社会のなかで生きていけるような気がしています。
私自身は、そうしたチャンスを逃さないためには、なるべく「いいえ」を言わないことが大切だと思っています。これは営業の仕事をしているときからずっと大事にしてきたことで、何かに誘われたときは、なんでも「はい」とやってみる、どこでも行ってみるんです。「いいえ」では、何も進みません。
だから認知症と診断された後、家族の会や当事者の集いに誘われたときも、とりあえず行ってみました。そこで「いいえ、行きません」と言っていたら、今の私はありませんでした。
認知症かどうかにかかわらず、「いいえ」を言わないことが、自分の人生や世界を、変えていくのではないかと、私は考えています。
そして今は、一人でも多くの当事者が、笑っている私の姿を見て、「ああ、こうやって外に出て行けるんだ。私も出てみようかな」と、チャンスをつかんでくれることを祈る気持ちで、人前に出て話をしています。
「サポーター」でなく「パートナー」に
果たして私は、認知症になった後もチャンスをつかみ、さまざまな人と出会ったわけですが、その最重要人物の一人が、今も講演などに同行してくれている、若生(わこう)栄子さんです。
若生さんは、家族の会の宮城県支部の世話人で、若年性認知症の人のための「翼」のつどいの担当でもありました。
最初に家族の会に顔を出したときからの付き合いで、私は彼女のことを「パートナー」と呼んでいます。パートナーというのは、私が考える、当事者と周囲とのよりよい関係のあり方を指す呼び名です。
認知症と診断された当初、私は、一緒に講演や集まりなどに同行してくれる周りの人たちのことを、「世話人」や「サポーター」と思っていました。
ですが、富山の当事者の集いや京都への旅行など、若生さんたちと一緒に遠出をするうちに、考えは変わっていきました。
旅先の時間をともに過ごすうち、人としての距離がぐっと近づいたのだと思います。若生さんは私よりも年上なので、たとえるなら母親のような感覚でしょうか……。とにかく、「これは『世話人』とか『サポーター』『介護者』という関係とは何か違う」と思いはじめたんです。
そこで思い至ったのが、パートナーという言葉でした。
* 現・一般社団法人日本認知症本人ワーキンググループ
生22-1056,商品開発G
自身もさまざまな学びがあるという若生さん。
一方的に丹野さんをサポートするのでなく、互いに必要なところでフォローし合う関係です。
講演のなかで、自身のパートナーとしての活動や丹野さんとのエピソードを話す場面もあり、
ユーモアあふれる2人のやりとりに会場からはしばしば笑いが生まれます。