丹野智文 認知症と生きる⑦

丹野智文 認知症と生きる⑦

おはよう21 2016年6月号
日本認知症ワーキンググループ/おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
※本記事は、2015年~2017年に月刊誌『おはよう21』に掲載された丹野智文さんの連載「41歳、認知症と歩む」を、一部改変のうえ、再掲するものです。記載内容等は連載当時のものとなっております。
講演やマスメディアを通し、 認知症の当事者として発信を続ける丹野智文さんが、今までのこと、これからのことを語ります。
初めての講演

10分間の出来事

診断を受けて半年経った2013年の秋。若年性認知症の人の“「翼」のつどい”のメンバーに誘われて、私は「本人交流会」に参加することにしました。
交流会が行われる富山に向かう道中、ずっと一緒にいたのは、認知症当事者の先輩である竹内裕(ゆたか)さんです。
広島からやってきた竹内さんは、海外へも一人旅をすると言います。アクティブで、とても優しい人でした。発症当初のつらい経験についても話をしてくれましたが、今はとても生き生きしています。人として魅力にあふれた竹内さんと話すうち、「認知症=人生の終わり」という気持ちに、変化が生まれていました。
2泊3日の本人交流会では、当事者が互いの思いを話し合いながら、一緒に時間を過ごしました。年齢や性別、病名も違えば、症状が少し進んだ人も、よく話す人もいて、認知症の当事者と一括りにいっても、実にさまざまでした。
「“2年で寝たきり、10年で死ぬ”というインターネットの情報は、一体何だったんだろう」。そう思い始めていました。
そんな交流会のさなか、主催者である家族会の副代表から、「明日、地域の人に向けたミニ講演会があるので、少し話をしてみませんか?」と声がかかったのです。
翌日、私は交流会の参加者と地域の人を前に、小さな公民館で10分間、マイクを持って講演をしました。
原稿もない状態で、ただ、病気になり、そして家族会に出会ったことを話しました。話すうちに、「翼」に行き、皆と出会えて嬉しかった気持ちが溢れてきて、気がつくと涙が流れていました。泣きながら私の話を聞いてくれた人も、たくさんいました。
その10分間が、その後の活動の“種”になるとは、まだ思っていませんでした。

20ページのメモ

富山からの帰り道。たまたま新幹線がいっぱいだったので、仙台から同行した人たちとは席が離れ、2時間ぐらい1人の時間ができました。
ミニ講演会のことを思い返して感じたのは、「この病気が進行していくのだとしても、自分が考えて話した内容を忘れないよう、書き留めておきたい」ということでした。
座席のテーブルで、話した内容をどんどんノートに書いていき、20ページほどになったでしょうか。仙台に戻ってから、それを自宅のパソコンに打ち込みました。
しばらくして、家族会を通して私の存在を知った宮城県から、講演の依頼がありました。行政や地域包括支援センターの職員向けの研修会で、認知症の当事者として話をしてくれないかという内容でした。
「この間話した内容がパソコンにまとまっているから、少し付け足せば話はできるな」。そう思って、引受けました。
それが、正式に依頼されて話をした、初めての講演になりました。

妻の前で

宮城県の講演会では、約90人の聴衆の前で、20分ほど話をしたと思います。やはり最初は緊張しました。参加者のなかには、行政職員や専門職、各地の家族会の人もいました。
講演の内容は、発症した頃や診断当初のつらかった気持ち、行政の対応で困ったことなど、家族会に出会うまでの出来事が中心です。話を聞いた方からの反応は大きく、講演後はたくさんの人が名刺をもってあいさつに来ました。
「ぜひ私たち専門職の集まる勉強会に来て、話をしてほしい」といった依頼も多くもらいました。ただその時点では、本格的に講演活動を始めようと考えていたわけではなかったので、その場で引受けることはしませんでした。
その講演で何より緊張したのは、妻が聴きに来ていたことです。当日までは、講演の原稿も見せていません。初めて妻の前で、認知症に関する話をするということが、一番緊張しました。
講演後、妻から直接聞いた感想は「よく人前で話せるね」くらいの、あっさりしたものでしたね。
ですが後になって、会場にいた家族会の人からそのときのことを聞きました。実はあの日、妻は泣きながら私の講演を聴いていたのでした。
最初にクリニックを受診する前から、自分自身で記憶が悪いと数年間感じていたことなども、妻にとっては初めて聞く話でした。これまでの出来事や、そのときどきの私の思いについて、「そうだったんだ」と感じたのかもしれません。
講演会の後、妻と2人で普段の会話をしているときだったと思います。「家族会に出会ってよかったね」と、お互いに話したのを覚えています。
講演の約3週間後、今度は認知症研究・研修センター主催の厚生労働省との意見交換会に呼ばれました。新たな出会いは、更に続いていきました。
生22-211,商品開発G
丹野智文さん

丹野智文さん

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