丹野智文 認知症と生きる⑧ - 100年人生レシピ|認知症を考えるみんなのためのメディア

丹野智文 認知症と生きる⑧

おはよう21 2016年7月号
日本認知症ワーキンググループ/おれんじドア実行委員会代表 丹野智文
※本記事は、2015年~2017年に月刊誌『おはよう21』に掲載された丹野智文さんの連載「41歳、認知症と歩む」を、一部改変のうえ、再掲するものです。記載内容等は連載当時のものとなっております。
講演やマスメディアを通し、 認知症の当事者として発信を続ける丹野智文さんが、今までのこと、これからのことを語ります。
家族のこと

迷い

「認知症の人と家族の会」に出会ったことをきっかけに、診断後の1年ほどで、私の周りではさまざまな変化が少しずつ起きたと思います。それは家庭のなかでも同じでした。
私がアルツハイマーの診断を受けた当時、上の娘は中学2年生、下の娘はまだ小学6年生でした。
入院中、主治医に、子どもたちへの病気の伝え方を相談したときは、「2人が高校生くらいになってからがいいのでは」というアドバイスもあり、結論は出ませんでした。ですが、私と一緒に日々を暮らす娘たちが、何も感じ取らないはずはなかったのです。
診断から間もなく、仕事に復帰した頃は、特に私の気持ちが落ち込んでいました。仕事を続けられることは本当に嬉しかったのですが、新たな環境でしっかり働かなければと張り詰めていて、通勤一つとってもひどい疲れを感じました。家では失敗をすることもあり、今後の仕事や生活への不安は拭えません。家族にイライラした様子をみせたり、泣くこともありました。
そんな、ある日のことです。会社は火曜が定休日ですが、そのときの私はそれがわからず、火曜の朝に出勤しようと着替えをしていました。妻に「会社は休みだよ」と声をかけられたのですが、「でも行かなければ」と思ったのです。
「休みだから行かなくてもいいんだよ」と説明されても混乱するばかりで、これまでの不安が爆発するように、「やっぱり会社に、もう俺は来なくていいって言われたんだ!」と、パニックに陥りました。
そのとき、騒ぐ私の様子を、登校前で家にいた下の娘が見ていたのです。
その日は何とか落ち着いたものの、普段の私の様子も見ている次女は心配して、「パパ、死んじゃうの?」と妻に何度も聞いてきたそうです。その話を聞いて「このままではまずい」と思ったものの、すぐに決断はできませんでした。

突然の出来事

家族会の“「翼」のつどい”に行くようになり数カ月経った秋、初めて妻と一緒に「翼」に行きました。そこでは、本人と家族が分かれての相談会が行われていました。
別々だったので私は知らなかったのですが、妻は家族の相談会のほうで、私の病気について「子どもにどう話せばいいのか悩んでいる」と話していたらしいのです。
家族会の人たちは、これまでの多くの人の経験を踏まえて、妻に次のようなアドバイスをしてくれました。「同じ家で暮らしていれば子どもは日々の生活をよく見ています。たとえばお父さんが何か失敗したときも、どうしたのかと心配している。むしろ正直に話をすればわかってくれて、お父さんが困ったときに手伝ってもらえると思います。話をしてもいいのではないでしょうか」と。
妻は、そのときは黙って話を聞いて帰ったようです。考えていたのでしょう。
2日ほど経って、会社から帰ると、子どもたちが私に駆け寄ってきて、「ママからパパの病気のこと聞いたよ。ママは泣きながら話してくれたから」と言うんです。事前に妻から何の相談もなかったので、「なぜこのタイミング?」と驚きました。
ただ、子どもたちに心配をかけたくなかったので、努めて明るく答えました。「そうそう。もの忘れの病気だからさ。何かあったら助けてね」。
娘たちは、何となくわかってくれたようでした。

「パパ、楽しそうだね」

しばらくしてからの休みの日、たまたま若年性認知症の男性が主人公のドラマがテレビで再放送されていました。
そのドラマを次女と一緒に観ていて、「そうそう。こんなふうに忘れるときがあるんだよね」と笑って話をしました。次女は「パパの病気はこういう病気なんだ」と自分なりに理解したようで、何となく前よりも優しくなったと感じます。
次女はその後も「翼」のイベントに妻と一緒に来て、合唱のときの写真を撮ってくれたこともありました。そして「パパ、なんか楽しそうだね」と、笑ってくれました。
長女も私の忘れ物を届けに「翼」に来てくれたことがあり、歌の練習の様子を見て、「テンション高いね。これって本当に病気の会なの?」と不思議がっていました。
それまで娘たちにとっては何をしているのかわからなかった家族会の活動も、私がそこで楽しんでいると知ってからは、「いってらっしゃい」と明るく送り出してくれます。
もちろん、今も娘2人は思春期のまっただ中。普通の親子げんかはあります。でも、認知症による失敗のことで、私を怒ったりはしません。 
何度か同じ話をすることがあっても、「パパ、それ3回目〜(笑)」と、みんな明るく笑い飛ばしてくれるんです。
生22-212,商品開発G

丹野智文さん

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